すがも中山道 菊まつり
江戸時代の巣鴨は園芸の里として市民に愛され「菊まつり」が生まれました。地域の文化と歴史を通して「すがも」の素晴らしさや、風情を感じて頂ければと平成5年から「すがも中山道菊まつり」がはじまり、毎年11月6日~14日に開催されています。是非、開催期間中に巣鴨を探訪し秋を感じるひとときをお楽しみください。
江戸時代から続く園芸文化
文政十年(一八四七年)に発行された「江戸名所花暦」に『菊は巣鴨、植木屋所々にあり。文化のはじめ(一八〇四~一八年)のころ、菊にて作り物を工夫せしなり。植木やならでも作りたるなり』とあります。駒込・巣鴨は、江戸中期から明治期にかけて、花卉と植木の最大の生産地でした。かつての駒込・巣鴨の植木屋の活躍は残り少ない遺物や、地図・絵図などから知ることができます。
江戸時代、花見は庶民娯楽の中心であり続けました。しかし、その種類は、椿からつつじ、菊、橘、朝顔など時代とともに流行がありました。江戸時代後半の花トレンドは「菊」。染井の植木職人村でも菊の栽培や品種改良が盛んに行われました。秋になると菊見が催され、なかでも巣鴨・駒込周辺は菊見の名所として知られるようになりました。菊づくりは、江戸中期の「花壇づくり」に始まり、一本から多数の花を咲かせる「咲分の菊」や「千輪咲き」、菊で風景をつくる「形造り」と技巧を凝らしたものになっていきました。そして、江戸後期以降は人を模した「菊人形」へと発展していきました。巣鴨の菊づくりは、江戸時代中期〜後期に三度の大ブームがあり、菊見に押し掛ける人々で長蛇の列ができ、80余りの植木屋と100軒もの出店でにぎわったと記録が残されています。
市中や近郊の花の名所は、巣鴨に限らず江戸庶民の娯楽として賑わいました。各地の名所の評判を集めた番付、双六、案内図などが盛んに刷られたことからも人気のほどが伺い知れます。そして名所や縁日の植木商、天秤を担いで市中を歩く花売りを通じて、江戸庶民の生活に花を愛でる習慣が広まりました。今日でも玄関先に鉢植えや盆栽を飾る下町路地裏の情景は、このころからはぐくまれてきたようです。
菊の仕立てのいろいろ
三本立ち
一般的な仕立て方の一つ。芽の先を摘心し、1本の苗から3本の側枝を伸ばし支柱でそれを支える。直立させた3本の枝に一輪ずつ花をつける。一番高い枝から「天」「地」「人」と呼ぶ。
懸崖
先端部分が鉢縁よりも下にあるもので、崖から垂れ下がるような姿に形作る。かまぼこ状に隙間なく花をつけ、山や野に自生する野菊の姿に模したもの。
盆栽
小菊などの菊を鉢(盆栽鉢、盆器)に植えて、枝ぶり、葉姿、幹の肌、根及び鉢の総称、もしくはその姿全体を鑑賞する。自然の風景を模して造形する。
千輪咲き
秋にさし芽をしたものを丁寧に摘心し、一本の茎から半球状に花をすき間なく、規則正しく咲かせたもの。一鉢で直径3~4mほどあるものも。
形造り
江戸時代、巣鴨が発祥とされる菊の観賞スタイル。風景や動物を模したものが始まりで、菊の花や葉を細工して芝居の名場面を表現し菊人形と呼ばれた。現代のすがも中山道 菊まつりでは、神話・物語の主人公などをモチーフに「菊アート」として制作され、平成26年まで毎年テーマを変えて展示された。
菊の種類
厚物
多数の花弁が中心に向かってこんもりと盛り上がったもの。
管物(間管、細管)
花弁が管状になり、直線的に放射状に伸びたもの。
菊見茶屋
11月6日から12日までの7日間「菊見茶屋」が出店いたします。江戸、明治の頃、旧中山道を癒した茶店をイメージして作られました。よしず小屋の下で、お団子(岡埜栄泉)、わらびもち(もとこ)、甘酒(松月堂)、緑茶(山年園)など巣鴨地蔵通りの銘品をお召し上がりいただけます。是非お立ち寄りください。
手作りの菊まつり
すがも中山道 菊まつりは、立案・企画・準備・制作など全てを地元の商店街や眞性寺、地元町会の方々、巣鴨信用金庫職員、大正大学など、ほとんど外注せず自分たちだけで行います。プロではないので、時間も手間もよけいにかかり、毎年みんなくたくたになりながら頑張っています。しかしその分手作りの温かさ、風流があると自負しています。