江戸六地蔵尊 眞性寺

江戸六地蔵尊の一つとして知られるこのお寺は、真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺と申します。起立年代不詳。元和元年(1615年)境内には松尾芭蕉の句の石碑があります。大きな傘をかぶり、杖を持つお地蔵様。江戸の六街道の出入口に置かれ旅の安全を見守ってくれました。 (巣鴨は中山道の出入り口でした)関八州江戸古地図、江戸絵図ほか多くの文献から眞性寺界隈は交通の要として賑わっておりましたことが伝わっております。

起源と歴史

江戸六地蔵の一つと知られる醫王山東光院眞性寺は真言宗豊山派に属しており、奈良県の桜井市初瀬の総本山長谷寺の末寺です。開基(寺の始まり)は不明分ですが、聖武天皇(在位:724年2月4日 – 749年7月2日)勅願。行基菩薩が開いたものと伝えられています。

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「地誌御調査上」(文久9年1826年)によれば、今から380年前、元和元年(1615年)に祐遍法印により中興開基(一度哀運にあったものを再建)が行われたのが記録として残っています。時代的には大阪夏の陣で徳川氏が勝利し天下を掌握した年です。
 同書によれば、当寺は元禄の頃から田端東覚寺の末寺であったのですが、正徳元年(1711年)にはそこを離れ、京都御室御所仁和寺の末寺になったといいます。そのご明治33年に至って仁和寺を離れ、真言宗豊山派総本山長谷寺の末寺になって今に至ります。

江戸六地蔵 – 旅の無事を祈るお守り役 –

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境内の左手に、高さ2m68cm、蓮花台を含めると3m45cmの大きなお地蔵様が、蓮座に趺座しています。これを称して江戸六地蔵尊といい、江戸御府内に6箇所造立されている地蔵尊の一つです。
眞性寺の地蔵尊は江戸深川に住んでいられた地蔵坊正元という方が願主となって、宝永3年(1706年)造立の願を発してから14年間の間に、大凡同型の地蔵尊菩薩像6体を造立された中の一体で、4番目に作られた唐銅製の座像です。眞性寺の地蔵尊が完成したのは正徳4年9月(1714年)です。

 その他の六地蔵は、東海道の尊像として品川寺(第一番)、奥州街道沿いの東禅寺(第二番)、甲州街道沿いの江戸三大閻魔の寺として有名な太宗寺(第三番)、水戸街道沿いの霊巌寺(第五番)にあります。第六寺は廃寺となり消滅した千葉街道沿いの永代寺にありました。

江戸六地蔵の百万遍大数珠供養

毎年6月24日に行われる百万遍大念珠供養では、全長16m、541個の桜材の珠からなる大念珠を500~600名で廻し江戸六地蔵の供養を行います。

京都六地蔵

平清盛が西光法師に命じて、京都の街道の入り口六ヶ所に六角堂を建て、一体ずつご尊像を分置されました。
京都の六つの地蔵がある場所は、山科地蔵(東海道)、伏見六地蔵(奈良街道)、鳥羽地蔵(西国街道)、鞍馬口地蔵(鞍馬口街道)、桂地蔵(山陰街道)、常盤地蔵(周山街道)と、いずれも洛中と洛外を結ぶ街道の出入り口にあたるところに祀られています。

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